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文化財の紹介【その他】西江野遺跡

ページID:0001030 更新日:2025年12月16日更新 印刷ページ表示

発見された矢柄研磨器
発見された矢柄研磨器の画像
西江野遺跡は、菰野富士のすそ野、鳥井戸川と三滝川に挟まれた扇状地にある。江野は昔、菰野方面より湯の山への遊山道が通じ、春はツツジ、秋は萩の花、ススキの穂が一面になびき、絵のように美しいということで、絵野とも呼ばれていた。江戸中期に来遊した尾張の俳人横井也有はその様を「誰すてて 扇の絵野の 花つくし」と詠んでいる。

古くは広い野原において、草競馬や太鼓踊りが催され、ここにまた古社、江田神社があった。戦前は旧陸軍演習場、戦後に開拓地となり、昭和47(1972)年に鈴鹿スカイラインが開通し、保養地として開発された。

この江野で昭和44(1969)年、江野に住む2人の高校生によって、それまで全国で12個しか見つかっていなかったと言われる縄文時代草創期の石器、矢柄研磨器が13個も発見された。矢柄研磨器は長円形の石の表面に縦一本の溝を切り、この石を2つ重ねて握ると、両方の溝の部分が合わさって丸い穴となる。ここへ矢の柄を入れてこすり、削ったり、磨いたりしたと考えられている。

西江野遺跡で発見された矢柄研磨器は、完全なもので長さ約10cm、幅5cm、厚さ2.5cm石英斑岩(溶結凝灰岩)、片方の面に幅1cm、深さ5mmの溝が入っている。また同時に発見された土器の破片は117個あり、他に石の刃物(スクレイパー)、石斧等も含まれている。

この一帯は高原が広がり平坦で日当たりもよく、原始の狩猟採集時代の人間の生活に必要な食べ物、飲料水も付近において容易に得られる格好の自然環境下で、住居地となり、主な生活圏となっていたと考えられる。ここで発見された矢柄研磨器は世界各地、シベリア、モンゴル、黒海沿岸、アメリカ、アラスカなどで断片的に発見されている。大陸から朝鮮半島を経て日本に入ってきた原始時代の文化の流れを知る上において、また、我が国の縄文時代草創期、早期、前期と各期の編年考証に重要な考古資料といえる。