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【その他】千草の常夜燈
更新日:2017年4月1日
千草の常夜燈
千草の集落の中心に建つこの大石燈籠は、明治22(1889)年に当時の千草村(千草、岡、福松)と音羽村、潤田村が合併し、新しく千種村が誕生したことを記念して、3年間の大工事を経て明治25(1892)年に建立された。
千草は石の産地として名が高く、また腕の良い石工も存在した。原石のみかげ石は千草発電所より上の朝明谷で切り出され、その石を牛車で運び出し、基礎の地固めなど、作業には村総出の「代納」により大きな労力を費やした。完成した燈籠は、基壇が5.4m、その上に五段積み重ね、上部の笠は屋形造りの総高6.7mほどもある神明型の立派なもので、千草の先人たちの石工技術の高さや建立時の苦労が偲ばれる。石燈籠は石工内田友五郎が設計し、また当時の世話人として携わった41名の名が板額に残されている。
伊勢神宮のお膝元である三重県内では、参宮街道、伊勢別街道沿いの村々に常夜燈が建立されている。その建立は江戸後期の文化、文政の頃に始まり、幕末から明治にかけて盛んに作られた。この燈籠正面には「両宮常夜燈」と刻まれ、伊勢神宮内宮と外宮両宮への信仰の厚さと、通行人や参詣者への心遣いが偲ばれる。
燈籠が立つこの場所は、千草街道と巡見街道の交わる場所で、千草街道は古来より公家、武家、僧、商人などが東へ行く近道として通った主要街道、巡見街道は江戸期に幕府の巡見使が通った、歴史のある街道である。かつて常夜燈の明かりは蝋燭や油火で灯され、村人が毎日交代で日没から夜明けまで、その火が消えることの無いように奉仕する番につき、その下を通る人々の道しるべの役割を果たしていた。
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