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【町指定】賀保寺の鰐口
更新日:2017年4月1日
有形文化財
【指定日】昭和50年11月26日
【所在】大字神森 賀保寺
鰐口とは仏堂の軒下に吊るしてあり、参詣者が布で編んだ縄で叩く円形で金属製の音具である。この鰐口は、直径38cm、厚さが6.5cm、青銅製で室町中期の永享2(1430)年に制作された。
鰐口の銘文には、
「伊勢国三重郡智積御厨内賀保寺鰐口之事 永享二年十一月八日願主敬白大工藤助信」
とある。この銘文から当時森村が智積郷の内に属していたこと、智積郷は伊勢神宮の神領であり、智積を中心に桜、一色、森、平尾、赤水、海老原の諸村がその区域に含まれていたことがうかがわれる。
賀保寺は平安後期堀河天皇の代、嘉保年間に創建されたので「賀保寺」と名づけられたという。一時寺が栄えた時があったが、永禄11(1568)年信長の兵火に遭い仏堂も焼失した。江戸時代に寛文年中森村の豪士南部氏によって再興され、のちに竹成の五百羅漢を作った神瑞和尚もこの寺の住職となり復興に尽くした。
明治維新後の廃仏思想により廃寺となり、御堂の北側には南部氏が造ったといわれる「心地池」の跡が残されているが、その池庭の上にあった天堂も移されて、諸仏像は今、御堂の中に安置されている。天井には龍の彫刻が掲げられている。また、寺の前庭に藤の古木があり、かつて花の盛りには多くの参詣者で賑わった。なお、竹成五百羅漢の藤の木は神瑞和尚によって幕末にここから移されたものであると言われている。
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