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【町指定】吉沢嘉例踊り

更新日:2017年4月1日

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無形民俗文化財

【町指定】吉沢嘉例踊り
【指定日】昭和48年7月24日
【所在】大字吉沢

吉沢嘉例踊りは、杉谷嘉例踊りと同じく、その起源、踊りの形態は異ならず類似の郷土芸能である。江戸期菰野藩主は嘉例踊りを好み、大いに奨励した為、領下16ヶ村の村々では宮守りの連中が踊りを伝承してきた。毎年夏祭りには踊り手が場内に繰り込み、藩主の面前で披露するのが慣わしになっていた。菰野藩の記録では明和6(1769)年6月と文政6(1823)年7月に、雨乞踊りを八幡宮へ奉納している。

昔は雨乞踊りを提灯踊りといい、嘉永5(1852)年頃から「嘉例踊り」の呼称が一般化した。吉沢嘉例踊りは、鵜川原神社の秋祭りに奉納されるもので、吉沢が当番地区となる6年毎に公開披露される。踊り手の役割りは露払いで、高張提灯、竿燈、太鼓、法螺貝、大団扇、鉦、笛方、歌上げなど総勢25名ほどで杉谷とあまり変わらない。ただし太鼓方の装束が紺の法被に股引、腹掛、わらじ履きという地味な農民の仕事着である。

踊りの形は「場踊り」と「練り」であって、それと太鼓方が頭にかぶる陣笠は、巴の紋が入り、これは藩主土方公から拝領したもので、誇りにしている。

嘉永5年の『嘉例踊歌』の本には、足揃え、“西の宮”、“東の宮”、“御役人”、“地下蔵”と言い、吉沢村の神社と庄屋、それに郷蔵と村内の要所を巡り練り歩くとある。そして所々で場踊りを披露している。その時歌う歌詞は、

 「東西南北しずまりたまへ
  これからたがいに拍子をそろへ
  千とせかわらぬ嘉例のおどり
  神と君とにたてまつる、たてまつる」

とあり、嘉例踊りの歌詞は、そのつど祭りや行事に合せて即興に作られたもので、昔は村々に田園詩人がいたのである。

稲作地帯の村では、踊りが雨乞い神事と一体のものであることからどの村でも伝承されていたが、明治末期の神社の合祀にはじまり、その後の時代の急激な変化により多くの村では廃絶状態となり、杉谷と吉沢のみがかろうじて継承されてきた。

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