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【県指定】木造薬師如来坐像及び両脇侍像

更新日:2017年4月1日

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有形文化財

【県指定】木造薬師如来坐像及び両脇侍像
【指定日】平成8年3月7日
【所在】大字菰野 正眼寺

正眼寺の本尊は、中尊薬師如来坐像、脇侍の日光菩薩立像、月光菩薩立像からなる薬師三尊像で、中尊は檜材の一木造りであり、脇侍は檜材の寄木造りで、ともに漆箔で覆われていたと思われる。制作年代については平安時代後期の作と考えられ、定朝様の手慣れた作品で、中尊の頭部などに地方的な要素が看取される。菰野地域、あるいは北勢地方の仏像を考えるうえで重要である。

正眼寺の旧跡は三岳寺の末寺として湯の山駅南東の字寺坂にあって、元亀・天正の頃織田信長の兵火に遭い滅亡したが、本尊は運び出され被災を免れ、近くの農家で祀られ続けていたと伝わっている。その後土方雄氏が菰野城へ入城してすぐに仮のお堂を設けて本尊を安置し、藩の将来を祈念して新福山の山号を許した。その後、明暦3(1657)年3代藩主雄豊が正眼寺の再興を果たした。寺の規模が整い、元禄9(1696)年には、本尊の薬師如来と脇侍の日光・月光両菩薩も修復された。この頃は、33年毎に開帳する秘仏であった。


◎中尊薬師如来坐像
右手掌を前方に、胸の前に掲げ施無畏印を結び、左手掌の上に薬壺を持つ。
像高86cm、面長15.8cm、膝張37.6cm
かつてお顔は護摩を焚いて供養した名残か、黒光りしていた。中尊の頭部、螺髪の丁寧な彫り、衣文の繊細な表現に平安時代後期(1090~1190の約100年間)の特徴が見られる。

◎両脇侍・日光月光菩薩立像
与願施無畏印を結び、白毫相を現す。
像高120cm。左右対称。
 

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