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【県指定】木造大日如来坐像(二体)
更新日:2017年4月1日
有形文化財
【指定日】昭和29年4月1日
【所在】大字竹成 大日堂
2体の大日如来坐像は、竹成大日堂の本尊である。
向かって右が胎蔵界大日如来像である。法界定印(結跏跌坐の膝の上に左掌を仰向けておき、その上に右掌をかさね親指の先を合わせ支える)を結ぶ。文明13(1481)年「本願上人聖阿弥陀仏」と胎内墨書があり、この墨書は戦後の昭和28(1953)年に奈良の仏師太田古朴(おおたこぼく)に補修を依頼したときに発見された。
左は金剛界大日如来像で、智拳印(胸の前にあげて伸ばした左掌の人差し指を右の掌をもって握る)を結ぶ。文明11(1479)年の作であり、胎蔵界と共に室町後期の作である。
両像とも檜材の内刳り寄木造りで、像高109cm、膝張74.2cmである。元々は漆箔が施されていたが、現在は剥がれ落ちて素地が現れている。江戸期の正保4(1647)年には竹成村迦兵衛が願人となり、京都の仏師・安村伊右衛門に修復を依頼している。
大日如来像は普通、頭に宝冠を戴き、紺髪を肩にたれ、瓔珞(仏の装飾品)、腕釧(上腕や手首につける装飾品)、天衣を身に着けた菩薩の姿をとっている。この大日如来像は、宝冠も付けず一切の装飾を省き、白木造りの像容の身に衲衣と裳を付けただけの姿である。尊像全体から、簡素の中にも清楚な美しさが感じられる。光背の形は円光で、紺の彩色が施されている。
大日堂は大平山松樹院と称する。その本尊大日如来像は願行寺の門前の小堂に安置されていたのを幕末の頃、五百羅漢を建立した神瑞和尚(照空上人)により、この地へ移されたものである。明治の頃は2体の大日如来を安置するだけの小堂であったが、大正6(1917)年、鈴木又市が田口新田の真願寺の旧堂を移築して現在に至っている。
竹成は朝明川の右岸に位置して、昔は杉谷、榊辺りと一帯の仏教文化圏に属していたものと思われる。四日市市南富田町善教寺にある重要文化財『阿弥陀如立像と蔵内納入文書』の当立像の胎内に納められていた藤原実重が記した『作善日記』によると、「嘉禎四(1238)年米2斗2升竹成御料にたてはしむ」とあって鎌倉中期頃に竹成に仏堂が存在し、その供物に米が寄進されている。中世鎌倉、室町時代には、この大日如来を中心として栄えたときがあったようである。
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