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【国登録】猫谷第一/第二堰堤
更新日:2017年4月1日
登録有形文化財
【登録日】平成10年9月2日
【所在】大字千草
猫谷の入口、羽鳥峰(はとみね)の登山道の左手に姿を見せている猫谷第一堰堤は、空石積工法(石と石をうまく組み合わせコンクリート等で固めずに積み上げる工法)の堤長6~7m、高さ9mの堰である。材料は現地に転石する花崗岩の自然石を用い、この猫谷の自然勾配の地形によく合せ、しかも水流の中心を掌状に窪ませてあるので、土砂の流失を防ぐ一方、景観を損なうことなく谷の自然美を守っている。また、空石積であるがゆえに透水性がよく、堰自体の欠損は見られず、水害に耐え、今も堅固な姿を見せている。
猫谷第二堰堤も第一堰堤と同じく空石積工法の堤長6~7m、高さ9mの堰である。安政元(1854)年の大地震の際「西山の峰に、山肌あらわれる」と記録されているのは、この堰の上あたりの尾根を指している。
明治30(1897)年砂防法・森林法が制定され、同31(1898)年内務省による砂防法に基づく補助事業が開始された。同32(1899)年三重郡千種村、朝上村、菰野村等が県下初の砂防指定地となった。
朝明川流域の上流部は黒雲母花崗岩で構成されているが、その多くが深層まで風化を受けている。また、地形は極めて急峻となっている為、広範囲にわたって大小の山腹崩壊を繰り返していた。その結果、長年にわたって多量の土砂を下流へ流出させており、三重県でも最も荒廃の著しい流域のひとつであった。この為三重県における砂防補助事業も、朝明川流域で最初(同32年)に実施された。
千草猫谷の第一堰堤と第二堰堤は、県の砂防事業の中で最も歴史のある堰堤と言うことができる。この堰堤は、縄のような緩いカーブを付けている為「なわだるみ堰堤」、また、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの指導を元にして設計されていると伝えられていることから、「オランダ堰堤」とも呼ばれている。
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