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【その他】千種陸軍演習場・廠舎跡

更新日:2017年4月1日

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演習をする兵士の様子
【その他】千種陸軍演習場・廠舎跡

千種演習場は、明治43(1910)年から昭和20(1945)年まで35年間にわたって、旧千種村におかれていた、陸軍の演習場である。

明治38(1905)年、日露戦争が終結すると、陸軍増設・海軍拡張の声があがった。名古屋駐屯の陸軍第三師団司令部は管下部隊の野戦訓練場として、菰野富士山麓の江野高原に目をつけた。陸軍用地買収の打診を受けた千種村当局の村長辻米太郎は村民・村会議に諮り協議の結果、陸軍省の要請を受け入れ、同43年7月6日付けで「千種演習場協定覚書」を取り交わした。

千種村では、軍が要請してきた兵舎及び付属建物の用地を、集落に近い前野に選定し、その用地を無償で軍に献納することとなった。

千草集落の南にあった前野神明社は、同42(1909)年1月に榊原の神明社へ移し、残る本殿・拝殿を同43年7月8日、県知事の認可を得て取り壊した。

同年7月19日、第三師団は130名の工作隊を派遣し、兵舎の突貫工事に着手した。建築用材の運搬は笹島町運搬合資会社が一手に請け負い、一部の資材は大阪で調達、鉄道便で天王寺駅から四日市駅経由で転送すると通達してきている。必要資材のうち、杉板八分板と、屋根瓦葺き工事は、現地で調達したいと第三師団経理部長名で千種村へ要請している。

明治43年9月「廠舎水道用水水質分析表」が作成され、検査の結果、飲料水に適合すると認められた。この水道敷設工事については、千種村千草の矢田甚太郎が私費を投じて施工し、それを軍へ寄付したいと申し出ている。

演習場は、昭和16(1941)年4月から名古屋第三師団から京都第十六師団の管轄下に置かれていたが、戦争の拡大に伴い、京都第十六師団司令部は、演習場の拡張を行った。

同年12月8日、太平洋戦争へ突入すると軍は、演習場の廠舎(兵隊が寝起きして内務訓練をした建物)の増築を村当局へ通達してきた。戦争が熾烈になり、戦線が次第に拡張すると、千種演習場の戦闘訓練も激しさを増し、野戦重砲・重機関銃・軽機関銃・小銃の射撃音の聞こえない日はないようになった。

昭和20年8月15日の終戦により、演習場は終結した。終戦後のしばらくは進駐軍がジープに乗り、警戒巡視に来ることもあったが、廠舎も順次取り壊されていった。広大な陸軍用地の演習場は、大蔵省所管の国有地となった。中でも、江野は県営開拓団が入植し、食糧の自給と酪農の基地となった。鳥井戸川以北は、千種村に払い下げられ、もとの水田や畑、牧野、山林となり、原形に戻った。
 

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