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【その他】禅林寺 千種家菩提寺

更新日:2017年4月1日

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建て替え前の禅林寺の方丈。
城の様式がうかがえる。
【その他】禅林寺 千種家菩提寺

禅林寺は下村の桑名道沿いにある。臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院で、山門を入ると、左手に金比羅、地蔵、薬師の諸堂が建ち、正面に方丈(本堂)がある。方丈は明治6(1873)年菰野城廃城の際、建物の一部を移築したもので、表玄関の唐破風造りの様式、方丈内部の欄間等に当時の藩邸の規模や意匠がうかがえたが、近年老朽化の為取り壊し平成20(2008)年に建て替えられた。なお、現在の方丈の内陣一部に前方丈の古材を使用している。

同寺の寺域は広大で、昭和10(1935)年頃は古木が繁り深い森に仏法僧(三宝鳥)が宿り、霊鳥の鳴き声を聞くことがあった。
 
寺の由緒によると、もとは大強原山盧遮那寺という天台の古寺であったが、中世、応仁の兵火にかかり衰微した。千種忠顕は家臣の武田宿弥主計頭昭信に命じて城を構え禅林寺城と称した。正平年間(1346~1369)顕経の代に千種城を築いて移ったと言われている。

文亀3(1503)年11月、治庸の代に普照大光禅師を招き開基として元禅林寺城の場所に寺を興し、始祖の忠顕の称号であった禅林寺宰相の名を取り、禅林寺と称した。千種氏は寺地四町歩、寺領五十石を与え、菩提寺と定めた。

天文24(1555)年住僧旭巒玄東は本尊大日如来像の修復を発願して、仏師左京正の手により彩色修理を行っている。その後は打ち続く北勢の戦乱により寺領を失い、再度衰微に向かい、ついに永禄11(1568)年信長の兵火にも遭った。江戸前期の慶安2(1649)年桑名長寿院の鉄叟和尚を招いて中興し、これより臨済宗妙心寺派となる。

同寺には天文4(1535)年11月大工藤原国信作で、5代中興湛道常然が再鋳し刻銘のある雲版(合図の為に打ち鳴らす雲形の板)が現存する。庫裡は嘉永3(1850)年に建立のものである。
 

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