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【その他】飛塚古墳

更新日:2017年4月1日

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飛塚古墳出土物とその完成想像図
所蔵・写真提供 三重県埋蔵文化財センター

【その他】飛塚古墳

飛塚古墳は、大字大強原字柳坪のミルクロード(県道140号線)際にある。古墳の規模は菰野町に現存する独立墳としては最大のもので、高さ3m、直径32mの円墳である。元々は今より大きなものであったと考えられるが、長い年月のうちに墳丘はくぼみ、上部は平坦になっている。

この古墳は、柳ヶ塚、首人塚ともよばれ、この地方に勢力のあった豪族の墓、また成務天皇時代の県主の墳墓であるとも言われている。明治初期の発掘調査で鉄刀、管玉、勾玉等が出土したと伝わっているだけであった。しかし、平成24(2012)年国道477号線整備事業に伴い飛塚古墳の上にバイパスが通ることとなり、古墳北側の周溝にあたる一部分の発掘調査が行われた。これにより1,000点程の遺物が出土し、古墳の成立年代は古墳時代前期末(約1600年前)であったことが判明した。

出土した埴輪の中で注目されるのは、家形埴輪の破片である。家形埴輪とは豪族の住いをかたどったもので、古墳の墳頂、中心部分に据えられていたと推測される。埴輪は入母屋造りの高床建物をかたどっており、外面が赤い顔料で塗られていた。

最も多く出土した円筒埴輪は、古墳の上に並べられていたもので、墳頂や墳丘を囲うように配置されていたと推測される。この円筒埴輪は、ずんぐりとした筒状部と壺のような口縁部を持ち、透孔は三角形である。また埴輪の表面、口縁部の内面は赤く塗られていた。

特殊な家型埴輪が出土したこと、赤く塗られた円形埴輪が珍しい形をしていることから、飛塚古墳は、この地域に居を構えた豪族等有力な人物の墓であったと考えられる。また、出土した埴輪の中には古墳時代中期後半(約1550年前)の朝顔形埴輪が含まれることから、飛塚古墳より50年ほど後の時代にもう1つ古墳が造られていた可能性がある。 この後、鎌倉時代になると、水田の開墾などで古墳の北側が削られ、古墳の周溝が埋まった。調査区域内で、江戸~昭和頃の川の跡と木組みの堰が見つかり、古墳の北側に水路があったことが判明した。

墳丘下にあたる地点からは、弥生時代後期末頃の竪穴住居跡一棟が確認され、土器片も出土した。このことにより、飛塚古墳の周囲には、弥生時代後期の集落が広がっていたと考えられる。
 

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