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【その他】大久保遺跡

更新日:2017年4月1日

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大久保遺跡南側の発掘状況
【その他】大久保遺跡

大久保遺跡は、三滝川左岸の扇状地の先端近く、標高約76mの潤田集落の西方にある。

この遺跡は、昔から地元の人々には知られていたが、いわゆる周知の遺跡ではなく、昭和57(1982)年都市計画街路、菰野―潤田線(現在の国道306号線)新設事業地内出土の土器の照会があり、遺跡の存在が公に明らかとなった。

発掘調査は、昭和57年12月4日~昭和58(1983)年3月末日まで実施されたが、調査区が道路予定地内巾12m、長さ約170mで帯状に調査したにすぎず、遺跡の全貌を解明するには至らなかった。調査の結果、掘立柱建物7棟以上、竪穴状建物が3棟、遺物としては土師質の小皿、鍋、羽釜類、山茶碗、瀬戸、常滑製の甕等、日用品と思われるものが数多く出土した。

平成26(2014)年に行われた第二次発掘調査では、注口土器(注ぎ口がついた土器)の注口部や、縁帯文土器(口縁にそって帯状の装飾のある土器)、突帯文土器(口縁部や肩部に突帯と呼ばれる粘土の帯を貼り付けた土器)など、縄文時代後期中頃から晩期(約3500~2800年前)の遺物が出土した。
また、平安時代末から鎌倉時代にかけて、瀬戸や常滑・猿投の窯で焼かれた山茶碗・山皿も出土した。このうちのひとつは完形で出土し、ひとつは自然釉(燃料の薪の灰が焼成中の器物の素地に自然に釉がかかった状態になったもの)のかかったものであった。平安時代後期頃のものでは、ロクロ土師器という土器が出土した。この土器には、底部に糸切り痕がはっきりと残っている。

また、鎌倉時代の掘立柱建物が見つかった。この建物の規模は2間(4.5m)×3間(6m)である。

これらのことから大久保遺跡は、縄文時代と鎌倉~室町時代の複合遺跡と考えられ、特に後者は当時の農村の生活様式を知るうえで貴重な資料を提供したといえる。また、付近には近世地誌類に散見する「大久保城之介」に関係すると思われる墳墓が所在している。
 

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