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【町指定】杉谷嘉例踊り

更新日:2017年4月1日

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無形民俗文化財

【町指定】杉谷嘉例踊り
【指定日】昭和46年11月25日
【所在】大字杉谷

この嘉例踊りは、太鼓踊り、雨乞い踊りとも言い、古くから鈴鹿山麓の扇状地、水田の水不足地帯に多く伝承されてきた郷土芸能である。

稲作を主とする農家では、春の「苗代水」、田植どきの「植付水」、出穂開花どきの「花かけ水」等は、欠くことのできない養水であった。特に杉谷辺りの山間地では10日も日照りが続くと水不足が生じ、鎮守の熊野神社に雨乞い祈願を行った。それでも降雨がないと、村の若者連が寄り、太鼓を叩いて、この雨乞い踊りを奉納した。幸い願いが叶い慈雨を見ると、今度は「雨乞御礼踊」を奉納するのであった。

この踊りは大きな締め太鼓を胸に吊るして唄に合せ踊る型で、太鼓を打ち鳴らせば悪魔を払い、神霊を呼ぶものとされ、ほら貝を吹けば雲を呼び雨水を求めるものといわれ、それに笛と鉦が入り、一つの踊りの形が整えられた。

杉谷では毎年、盛夏のお盆のころに、公民館の表忠碑前の踊り場で公開披露している。踊手の役割は露払い、高張提灯、太鼓、法螺貝、大団扇、鉦、サッサイ、笛方、歌上げなど総勢35名余りの陣容である。

踊りの形は「場踊り」と「練り」がある。以前は公開の日は、全員公開所に集合して「足揃え」を行い、衣装道具を改め行列を組み、古式にのっとり、先ず「役人前」として区長宅を訪ねて庭で一踊りして、その後、西三岡、尾高、東三岡、慈眼寺、熊野神社、翠巌寺と順々に巡った。これは村の要所を隅から隅へと廻り悪霊を払うことと、それに氏神とお寺へ豊作を祈願する為のものである。

この嘉例踊りも先の太平洋戦争中は、踊手の若者が出征したので一時中断、戦後、若者の帰還を喜び長老の市川留松老が熱心に復活を呼びかけ、踊りの仕草、歌唱の指導に努めた。これに呼応して杉谷区では保存会を設けて伝承の体制を固め、今日では旧に倍して盛んになっている。

このページに関する問い合わせ先

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