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【県指定】大日堂境内の五百羅漢

更新日:2017年4月1日

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史跡

【県指定】大日堂境内の五百羅漢
【指定日】昭和42年2月10日
【所在】大字竹成 大日堂境内

竹成の五百羅漢は、県道田光四日市線に沿った、竹成集落の中心にある。

嘉永5(1852)年2月竹成出身の神瑞和尚が建立を発願して、桑名の石工、石長こと藤原長兵衛一門の手により慶応2(1866)年に完成したものである。

小高く盛った土山の上に469の石像が並び、坐り、立ち、或いは空を仰ぎ、各像各様の姿は誠に偉観である。

石像の材料は花崗岩で、その原石は地元の鈴鹿山脈釈迦ヶ岳の麓から採取して竹成へ運んだ。これを刻んだ石工の頭領藤原長兵衛に協力して、杉谷、田光、千種あたりの石工も手伝ったようである。この建立に要した費用など詳しいことはわからないが、信者からの寄付や、神瑞和尚所有の田七町歩、畑三町余りから収穫した米などを売り、工費に充てたようである。五百羅漢の並ぶ小山は地元の土を取って、ふご、もっこを使い、運び入れて築き上げたもので、竹成村民の労働奉仕によるものである。

全体で395ある羅漢像の他、東正面入口には、大地蔵菩薩と二童子、三蔵法師、弘法大師、南に願主の神瑞和尚像、地獄の閻魔大王と十王、山上にはこの五百羅漢の中心となる大日如来と四方仏、その前に釈迦三尊として釈迦如来を真ん中に脇侍の普賢菩薩と文殊菩薩、北に面した所に七福神、役の行者、苦行の釈迦、中腹に天照大神、猿田彦等々、変化に富んだ石像の数々がある。庶民は、単に釈迦の高弟に願いを託すのではなく、民間信仰も含め、ありとあらゆる神仏に幸福や健康、豊作など多種多様の願いを託したと思われ、当時の庶民信仰に思いを巡らすことができる。

神瑞和尚は天明8(1788)年5月竹成で生まれ、文化9(1812)年出家、鈴鹿の野登山に登り修行する。天保8(1837)年頃神森の賀保寺の住職となり同寺を復興。天保12(1841)年郷里の竹成へ帰村、安政2(1855)年4月11日68歳で入滅する。

明治9 (1876)年の伊勢暴動により、大日堂はその災に遭って焼失し、その後廃仏毀釈により大日堂と共に五百羅漢も衰微し、三重の石塔も人手に渡るような荒廃であった。大正7(1918)年境内に竹成米の発見者、松岡直右衛門の顕彰碑が建立されるや、境内も整備され今日に至っている。
 

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