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【県指定】千種城跡

更新日:2017年4月1日

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有形文化財

【県指定】千種城跡
【指定日】昭和38年1月11日
【所在】大字千草

信長が京へ上ったときに通ったという伊勢と近江を結ぶ千草越えの要路に面して、千種城はある。鈴鹿山脈の支脈のつきる小丘の自然の要害の地をそのまま利用し、中世から近世に至る山城としての形状をはっきり残している。

千種城は南北朝時の公家であった千種忠顕の子、顕経が鵜川原の禅林寺城から移り、この城を築いたと言われているが諸説ある。北勢48家の豪族をその支配下において勢力があったが、弘治元(1555)年近江の佐々木義賢に攻められ、この時の城主千種忠治は和議を結んだ。

永禄11(1568)年、信長が滝川一益をして北伊勢を攻めたとき、北勢の諸家と共にその軍門に降った。慶長20(1615)年千種顕理が大阪夏の陣で討死し、千種家は断絶、廃城となった。顕経が千種城を築いたとされる永徳元(1381)年から、慶長20年の廃城まで、約230年続いたと考えられる。

現在は城跡の上に記念碑(昭和2年、1927建碑)があり、現在でも敷地の西側に空堀の遺構が見られ、西北の隅に兵糧庫があったと言われ、土中から焼米が発見された。

また、今の千種神社の辺り、金ヶ崎に出城があったと言われている。なお、鵜川原の禅林寺は千種家の菩提寺である。
 

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